二度目の癌ステージ4 – 70代男性と家族の記録(4) CDDP+TS-1

■ 抗がん剤 第二回目 CDDP+TS-1(外来用)
前回の入院では副作用に耐えられず、途中で投与が中止されたシスプラチンですが、今回はティーエスワンと合わせて投与されることになりました。
そして平成27年(2015年)7月31日(金)からは「自己チェックノート」も記録し始めました。
この記録に「治療の履歴」と「治療中の副作用チェックシート」、外来診療費領収書と薬局の保険調剤明細書をまとめると以下になります。

・7月31日(金)
点滴
レジメン名「CDDP+TS-1」
コース数「2」
血小板数減少_(PLT);Grade 1 10.9
薬剤師コメント(病院)「点滴実施しています。投与量変更ありません。」
治療中の副作用チェックシート翌8月1日の欄に「午前4時に胃液逆流と頭重感、両足浮腫とフラフラ感」の記録、「両足浮腫」については、その後も断続的に、そして時には連続して記録しています。

・8月28日(金)
検査と投薬のみ、点滴なし

   

・9月2日(水)
治療中の副作用チェックシートに「午前4時に胃液逆流、右足電気」

・9月4日(金)
点滴
レジメン名「CDDP+TS-1」
コース数「3-2」
貧血(Hb減少);Grade 1 12.7
血小板数減少_(PLT);Grade 1 11.7
薬剤師コメント(病院)「シスプラチンが100mg→85mgへ減量になりました。」
同じ欄に父が「テーエスワン朝夕2錠服用」と書き込んでいます。
治療中の副作用チェックシート翌5日の欄に「食べ物が全部、鉄の臭いがする。夜中12時にしゃっくりがある。両足浮腫」、「鉄の臭い」は9月11日(金)に「味覚障害」に変わり、その後も続いています。

   

・10月2日(金)
検査と投薬、父の記録では点滴

   

・10月9日(金)
点滴
レジメン名「CDDP+TS-1」
コース数「4」
好中球減少;Grade 1 ※数値記載なし
貧血(Hb減少);Grade 1 ※数値記載なし
血小板数減少_(PLT);Grade 1 ※数値記載なし
薬剤師コメント(病院)「シスプラチンが85mg→65mgへ減量しました。ティーエスワンはそのまま継続です。しんどいときは受診してください。水分を充分摂取してください。」

・10月23日(金)から28日(水)まで
治療中の副作用チェックシートに「夜中にトイレに2~3回行く」

・11月5日(木)
治療中の副作用チェックシートに「体が軽い」

・11月6日(金)
検査と投薬、父の記録では点滴
治療中の副作用チェックシートに「夜からGL」、8日(日)「朝GL」、9日(月)~13日(金)「昼GL」

・11月13日(金)
点滴
レジメン名「CDDP+TS-1」
コース数「5」
好中球減少;Grade 1 ※数値記載なし
貧血(Hb減少);Grade 1 ※数値記載なし
血小板数減少_(PLT);Grade 1 ※数値記載なし
薬剤師コメント(病院)「投与量は前回通り、シスプラチン65mgです。明日、明後日は水分多めに摂取してください。」
治療中の副作用チェックシートに「昼GL」

・11月15日(日)
治療中の副作用チェックシートに「右耳不調」が始まり、12月4日(金)からは「右耳難聴」に変わりました。
途中、
17日(火)「一日中、頭がフラフラしていた」
18日(水)「一日中、下痢。鼻汁、冷汗、腹痛」
19日(木)「体がだるく、力が入らない。鼻汁、冷汗、午後下痢、下腹部痛」
翌日から腹痛と下痢がおさまったものの、
27日(金)からは風邪で「咽頭痛、夜間の咳、鼻汁」が12月7日(月)まで続きます。

・12月11日(金)
診察
治療中の副作用チェックシートに「夜、下剤12mg服用」

・12月18日(金)
点滴
レジメン名「CDDP+TS-1」
コース数「6」
好中球減少;Grade 1 1593
貧血(Hb減少);Grade 1 12.2
血小板数減少_(PLT);Grade 1 10.5
薬剤師コメント(病院)「今回よりシスプラチンの投与量が50mgに減量となっています。」
当日の治療中の副作用チェックシートには「入浴後、目の前が真っ暗になり、足がフラフラして、すぐ横になり、5分ぐらいで回復した。左足浮腫。下剤1錠服用」
翌19日(土)は「今朝は体が軽いが、午後からはだるくなった。」
20日(日)「下剤1錠服用」
21日(月)「両足浮腫、パンパンに腫れている。下剤1錠服用」
22日(火)「両足浮腫、パンパンに腫れている。」
23日(水)と24日(木)「両足浮腫、昨日より少しまし。」
25日(金)からは「左足下肢部痛」が12月31日(木)まで続きます。

当時、父は熱心にボランティア活動へ参加し、風邪などで寝込まない限り、ほぼ毎日、外出していました。
喘息が悪化し、自分のことで手一杯だった私は、父の日課が変わらないので、父の病状についても安心していました。
そして両親も、車いすで暮らす私に心配かけまいと隠していたようです。
私は、父の足が浮腫んで、痛みに苦しんでいたことや、味覚障害が起きていること、特に難聴については、もともと父の左耳の聞こえが悪かったこともあり、右耳まで聞こえにくくなったことに全く気づかず、父の闘いについて何も知らないまま過ごしていました。

※平成27年(2015年)7月31日から12月31日までの「自己チェックノート」はこちらからご覧いただけます。(注意!超悪筆です)

二度目の癌ステージ4 – 70代男性と家族の記録(3) シスプラチン

退院して最初の診察は平成27年(2015年)6月17日(水)、いよいよ抗がん剤による治療が開始されました。
後日からつけ始めた「自己チェックノート」はなく、両親と自分の記録、そして外来診療費領収書と薬局の保険調剤明細書しか残っていません。
それによると、当日、院外処方の領収書はなく、消化器科 診療費領収書には数万円もの高額な投薬請求が記載されています。

母が「白金点滴」と記録し、父も「シスプラチン」と記録しています。
投与が始まると、父は強い吐き気と食欲不振に苦しみ、25日(木)に再度、入院することになりました。
見舞いに行った折、父から「抗がん剤として白金(プラチナ)を投与されている」と聞き、私も「白金製剤(プラチナ製剤)」と記録していました。
入院中も連日、点滴が続きましたが、父は手術よりも副作用のほうが楽だと話していました。
苦手な「痛み」でなく、吐き気が中心なため、精神的に耐えやすかったのかもしれません。
父の様子に私たちも安心し、高価な金属が抗がん剤として投与されていることについて、「お金なくて結婚指輪も買えなかったのに、今は豪華な闘病してるね」と、話したことを覚えています。

その後、父は副作用に耐えられなくなり、途中で投与が中止されました。
6月30日(火)の退院後、7月2日(火)まで副作用らしい下痢が続きました。
もともと腸が弱く、下痢しやすい体質だった父には不慣れな吐き気よりも、慣れた下痢のほうが辛かったらしく、手術後はすぐに外出し始めたのに、今回の退院後は外出せずに一週間ほど、自宅のベットで過ごしています。

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二度目の癌ステージ4 – 70代男性と家族の記録(2) 胃空腸バイパス術

■ 手術 第一回目 胃空腸バイパス術
平成27年(2015年)5月13日(水)、県立病院に入院した父は翌14日(木)、再度、胃カメラの検査を受けました。
18日(月)に検査結果を見ながら、主治医から手術について説明を受けたとき、父が携帯電話で撮影した画像が残っています。

   

入院から8日目の5月21日(木)、正午に始まった手術は2時間で終わり、出血もわずか1ccでした。
手術後4日目の25日より食事再開、順調に回復し、6月3日(水)に退院、この時点での体重は66kg、抗がん剤が始まり、同時に「食べる」闘いも始まりました。

二度目の癌ステージ4 – 70代男性と家族の記録(1)

車いすのhayashiが胃ガンでステージ4、そして後日に転移して肝臓ガンのステージ4になった実父を看病することになりました。

■ 胃ガン ステージ4でスタート
昭和14年(西暦1939年)生まれの実父は、平成27年(西暦2015年)4月に腹痛でご飯が食べられなくなりました。
母の勧めで、28日(火)に近所のクリニックを受診、胃カメラを飲みました。
そしてステージ4、噴門を完全に塞ぐ胃ガンが見つかりました。
両親はクリニックで書いてもらった紹介状を持ち、すぐに県立病院へ向かいました。
県立病院では、父の年齢と病状、また全く食べられない現状を考慮し、緊急に胃の手術を受けることになりました。
この時、私は両親とともに手術の説明を受けましたが、父のガンのステージについては全く触れられませんでした。
しかし数日後、ガンを発見してくださったクリニックに、お礼と、手術が決まったことの報告を兼ねて、風邪で受診したところ、
「あんなに進行するまで、なんで放置したの。もう三か月は持たないと思うよ。覚悟を固めて取り組むようにね」
と叱られました。
こうして父は余命三か月という現実を知らされないまま、ガンとの闘いを始めることになりました。
この時点で体重は71kg、太り気味を気にしてダイエットの最中でした。

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アンドレア様よ、永遠なれ

イタリアの名選手アンドレア

パラアイスホッケーの元イタリア代表選手、Andrea Chiarotti(アンドレア・キアロッティ)の突然の訃報に、昨夜はあまり眠れず、今も頭がぼーっとしています。
トリノ大会で初出場したイタリアは、結果こそ出場8チームの最下位ではあったけれど、「こりゃー未来は明るいぞ」と確信させるチームでした。
当時の私は、考えたというよりは感じたままに「イタリアは強くなる。」と断言していました。

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ソルトレーク大会にて

たまたま日英の親善試合を観に行ったばかりに、すっかりハマってから、かれこれ20年。長野、ソルトレーク、トリノの冬季三大会を現地観戦するほど入れ込んだ競技の名称が、アイススレッジホッケーからパラアイスホッケーに変わることになりました。
いまだにこの口が「スレッジ」と口走るのだけれど、競技が定着し、これから続いていく競技の未来を考えてのこと。そう思うと、なんだか感慨深いものがあります。
上の写真は、ソルトレーク大会で撮った懐かしい1枚。

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カテゴリー: スポーツ

ユニバーサルな道具たち(9)バスに夢を乗せて

車椅子でバスに乗る

先日、久々に乗客で混み合っている路線バスを見ました。
地方から訪れた東京での夕暮れ時、タクシーに乗りながら、ふと目を窓外にやると、バスの窓に多くの会社帰りの人たちの姿がありました。
当然、それは都会では何の変哲もない風景なのかもしれませんが、空席の多いバスを見慣れている地方の人間には逆に新鮮でした。

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ユニバーサルな道具たち(8)使いたまえ、されば救われる

スマホとアプリ

言うまでもなく、道具は、使ってこそ初めて道具なのです。
言い換えると、使えば、どんなものでも道具になってしまいます。
倒れそうになりながら歩いている人にとっては、道に落ちているどんな棒切れでも杖にすることができます。
逆に、樫で作られ見事な造作が施された高価な杖でも、ガラスケースに飾られているだけでは、道具としての杖にはなりません。

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介護に関わる人たち

「病気のお年寄りの対策も必要だけど、元気なお年寄りへの対策も必要だよ。」そんな話を聞いたことがあります。
たしかに、65歳以上の病気などで介護が必要な方はおよそ20%。あとの8割は元気なお年寄りです。
しかし、どれだけ元気なお年寄りでも、いつかは介護が必要な時が来ます。
誰のお世話にもならず人生の舞台から降りることは不可能です。

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ユニバーサルな道具たち(6)冬の火傷(やけど)

使い捨てカイロ

思い出してみれば、子供の頃は、けっこう火傷をしていたように思える。花火をすれば必ずどこかがヒリヒリと痛かったし、熱い鍋ややかんに触れてしまったり、好奇心でマッチやライターをいじってみたり、とにかく切り傷やスリ傷と同じくらい火傷の痛みを経験していたと思う。それが大人になり、文字通り面の皮が厚くなると同時に火傷も減った。

年を取るということは子供に戻ることだ、と、そんな意味の文章をどこかで読んだことがある。火傷の場合も、これと同じことが言えるらしい。火傷で病院に治療に来る人が高齢者になると増えてくる。しかも、その病状は重症である場合が多いと言う。時期的には子供の場合は夏の花火だが、高齢者は冬に火傷を負うことが多いそうだ。

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